――元々モノづくりの好きだった
大工は弟子から入って30年くらいですかね。元々すし屋の板前だったんですけど、ものづくりが好きでしたね。すし屋の時も楽しくて仕込みから何から全部やっていたんですが、のれん分けの話が親方からあったんですけれど、それと同時にうちの父親が工務店の建築業を廃業するみたいな話があって自分の将来を考えてました。その当時ちょうどバブルがはじけて回転ずしが広まってきた時代で「すし屋は将来ないかな」というのもあって、大工として職人になろうと思いました。
――叔父さんの元で「木組みの楽しさ」を知る
最初は家に直接入るよりは「修行したい」という思いがありまして、まったく知らない他人の親方のところで修行を始めました。6年くらいですかね。自分の叔父さんも工務店をやっていて好きで料亭などの数寄屋造りをやってたんですね。自分は叔父さんの方に興味があって料亭をやらしてもらったり、その時に何もない状態のものから加工して、カンナをかけたり、ホゾをつくったりして「木組み」の楽しさを知って、こういう「家具作り」とかもある意味、趣味みたいな感じで作るようになっていきました。
――伝統技術の大工製法を経験をした最後の世代
昔は一本づくりの板から加工していたんです。全部割いて採寸をして、造って加工して、カンナで仕上げてみたいな。もう本当に板木の材料から建物にしてもスミツケをしてました。今は「プレカット」で工場で全部できあがってきて組み上げるじゃないですか。昔は家を建てるときには、一本一本墨を打って「スミツケ」して、柱も一本ずつ削って全て手作りで木組みで造っていたんです。今はもうプレカットの時代になっていますからね。私は本当に昔ならではの伝統技術の大工製法を経験をした最後世代と思います。
――確かな技術を継承してお客様の笑顔を見たい
実は相性が良かったのは建築家と呼ばれる設計事務所様で、木組みテーブルの写真を持って営業に行くと「これ?こんなの作れるんですか?」と言われました。こだわる顧客を抱えている建築家さんとの相性が良かったんですね。それでいて当時では珍しい職人やりながらCAD(CAD歴20年)も覚えていました。もちろん今でも施工図面を書いています。今後もテシオグループ「人匠」としてこの技術をを知ってもらい、若い世代にも継承していって、多くのお客様を笑顔にしていきたいと思っています。